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地下鉄にて

books下鉄で乗客が本を徐に広げて読んでいた。気になるのはその表題。なんと、『カラマーゾフの兄弟』を読んでいた。日本語の文庫本では三冊になるけど、アメリカの出版社ではハードカバーで一冊。読むのも至難だけど、運ぶのも至難。日本ではドストエフスキーなどの小説は大学生が学部に関わらず、読んでいた本だと記憶にある。白楽天、トルストイ、大江、安部公房、アーヴィング、ガルシアマルケス、ボルヘス、カフカ、サルトルなど多岐に渡る著作家をつまみに酒を構内構わず飲んだくれて論じるのだ。強者はバーボンウィスキーを抱えて、ほどよく酔った加減で思想系のテストに望むものもいた。言い訳は酒を飲んだほうが白黒はっきりした議論が書けるということだ。これは簡単なアウトラインを描く試験では有用である認めざる終えない。上級者は哲学者、哲学書を会話の中に面白いネタにして盛り込む。これが粋として見なされた。

さて、話を戻すと、日本では当たり前の教養書として読むでいても当たり前とされているものが、アメリカでその光景を目撃するといささか衝撃を覚える。それというのも、基本的に、アメリカ人は学校で習う教養での知識以外、小説をさほど、読まないように思えて仕方がない。図書館の有害図書にカポーティ、アーヴィング、サリンジャー、ケルアック、ディケンズ、フォークナー、トニモリスン、スタインベック、ジョイスなど錚々たる作品が禁止指定されている。指定された図書は公共、及び学校図書館では貸し出し、閲覧されていない。大学図書館でもこれらの作品が有害図書の見本として陳列されたいたのは驚かされた。基本的に思うのだが、日本人の多くは自ら思想、文学を大学時代の閑暇な時代に読みふけることを通じて教養を自らの手で学ぶのではないだろうか。だから、別に学校で強制的に試験のためだけに勉強を強制されるアメリカ人よりも平均的な文学的な素養は高い。それは日常的な振舞にも現れているのではないかと思えて仕方ない。つまり、白黒つける単純思考構造ではないのだと。


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