土曜日、久しぶりの友達とチャイナタウンで午後にご飯。みんな楽しくいきてんなーと羨ましい。ご飯食べて、セレクトショップと家具屋に連れて行ってもらい、酒を飲むつもりなかったのに、そのままぐだぐだ飲んでしまいBedfordへ。酔っぱらってDeath By Audioの場所が分からず,着いたのが10時。なのに二番度目のAnamaguchiが始まる前。聞いたことなかったけど、これがあまりにもしびれます!!!Ratatat、Mass the Bandにファミコンの8bitのサンプリング、隠し味にCapn’ Jazzを併せもつようなインストバンド。ほんと、この手の音楽やるアメリカ人の曲の着想がすごい(全く、型にはまらず、真似てもベクトルが同じならない)。みなはん盛り上がり。Mass the bandも相変わらず激しいテンション+ノリノリ、同じ奴らがダイブしすぎ。トリのメンバーがBrooklyn発、日本人であるPeelander-Z(12年目)はまたもやこれでもかという客のノリ。日本人だからなのか、極力単純化した歌、コスチュームとオーディエンスを巻き込むパフォーマンス。パンクバンドでありながら、日本人を逆手にとった究極的に刀のように洗練されたスタイルがアメリカ人にも受け入れられる。日本人が英語で歌うと猿語でもはや感情移入できないけれど、アメリカで勝負する上でアメリカ人も聞き取れる英語で歌うのと盛り上げ方は一級だなあと思う。日本で活動するバンドは大概、誰にも理解できない猿語でなぜ歌うのか良く分からん(オーディエンス完全無視。一方、アメリカ人でもアメカンバンドの激HCだと何言ってんのか良く聞き取れないらしいけど)。友達がお客さんを10人ぐらいつれてきていたけど、みんな楽しんでいたようで予備知識ない人でも大いに楽しめるライブ。オーディエンスを無視した純粋音楽とは対極的、これぞPunkではないのか。一人で踊るのではなく、みんなで踊る。むしろみんなで踊り狂う。横浜の寿町のイベントに近い。踊る阿呆に見る阿呆。何事もこちらの方向性の可能性に両足、腰、両手をかけてみたい。
川を向こうにはなさんだこれまたスクワットしているABC No RIOとは対極的ではあるが、Death By Audioの運営コンセプトの方が個人的に、はるかに素晴らしいと思う。出演するバンドも実験系、エレクトロ、Jazz系その他様々だが、根底にあるのはみな楽しめるものというコンセプトが貫き通されているように思える。演奏する側もPAのDeath By Audioのスタッフの名前をあげてリスペクトしている。スクワットしている建物は天井はところどころ抜け、トイレは汚い。奥のスペースでは各種ビール、ワイン、レコードなどが販売され、ライブ見てなくても話せるスペースあるし、ABC No Rioのぎすぎすした雰囲気とは違い、楽しい雰囲気。音楽が楽しくなかったら一体なんなのだろうかという感じだ。こういう全バンドとオーディエンスも一体感がうまれるライブもそうそうない。ライブって演奏する側とオーディエンス側で構成されているという相互構成的な基本的なことが忘却されすぎてる。