デザイン(ファション、建築、家具、インダストリアルデザイン)、文学、詩、評論、論文、政治… センス有る人はセンス有る。センスが無ければ、いくら努力しようとも、才能は開花しないし、”それ”の重要すら気づけはしない。大正、昭和初期の歌人や小説家はすこぶる、現代においても胸を打つ、言葉を烈火の如く炸裂させたいたな。筑摩全集の現代歌集の何巻か忘れたけど、昭和初期、大正時代にもブコウフスキーなんぞ相手ならない、すげー詩を読む日本人もいたもんだと思わさせれた詩も多くあった。
今から、109年前に生まれたPunX小熊秀雄はかく歌う。
愚かしい泥酔漢は救われないのか?
愚かしい泥酔漢は毎夜街をさまよう。
救い難いこのような泥酔漢を誰が救うのか?
現在でも救われはしないし、誰にも救えねえさね。
哲学は論理的だけど、詩は感情的に直通し、理性ではないものに訴える。
小熊はSF作家としても優れており、手塚治虫や、松本零士に多大な影響を与えたとされる小熊とかの詩を愛せる連中と一緒に酒飲んでいるときは楽しい。
夜の群れ
人間とは救ひ難い者をも愛さねばならないのか
愚眛な動作で調子を合せて手の指を鳴らすナンセンス野郎も
金歯をむきだしにして笑ひ楽しんでゐる女も
壮観極りないほど鯨飲鯨食する徒も
燕尾服の前をはだけて立小便をしてゐる
胸に白薔薇を挿した泥酔漢も
よちよちと子供に手を引かれて
猥歌をうたひあるく職業乞食も
左翼ファンも文学青年も
ジレッタント学生、守銭奴の爺も
とろけた眼をしてゐる男色家も
これらのすべての者を愛する義務と
力とは誰がもつてゐるのか?
これらの悲しい愚かしい群は毎夜街をさまよふ
しかも彼等は何者をも怖れず
心の喜捨をも乞はず
強い独り語で満足してゐる
これら愚昧の徒は日増に街にあふれ
しづかに陥没するやうに夜となつた地球の
くらい階段にぞろぞろと降りてくる、
高遠な理想家、道徳家、政治家も
しばらくは呆然としてこれらの徒の
なすがまゝにそれをみてゐる
敷きのべられた夜を
足音も荒々しく心も散漫に
傾斜した街を彼等は降りてゆく
いまは道徳も何の説得力をもたない
この救ひ難い群を誰が救ふのか?
小熊秀雄『夜の群』
乱酔
遊蕩児のやうに
卑しい情歌を歌ふ
スリ、悪漢のやうに
指を動かしてものを握る
握ればすぐ放し
捕らへれば砕いてしまふ
あゝ、大馬鹿者の乱酔は
さびしさ限りなし、
怒つて電信柱に突貫すれば
電信柱は少しも妥協しない
押しあひ、へしあひ、引き分けとなる
しばし街燈の
仄かな光のもとに睨み合ふ
やがて呵々大笑して
大馬鹿者、電信柱に
頬づりをして袂別する
夜更の街をうろつく
羞恥をいれた袋を忘れた男が
それを探しまわるやうに
街から街、露路から露路の暗がりを
恥外聞もわすれて
着物の胸をはだけてさまよひあるく
光りを求めて
光りそこになし、
まもなく『おでん』屋の時計
短針、十二時を指し
長針、ゴトリと音して
一気に三十分まはる
あゝ、時は
青春の羞恥を
彼方の空にはこび去つたか——、
大馬鹿者、悲しんで泣けども
涙一滴もでず
怒つてみても腹立たず
笑へども、おかしくない
闇には蜘蛛の巣の
階段がつくられてある
酔ひ心持ふらふらと
天にむかつてそれをのぼる。
小熊秀雄『乱酔』