ヴァルデンフェルスのフッサールの真理概念を丹念に追った『真理と明証 (Wahlheit und Evidenz)』のラフな纏めが3.5フロッピーインチ(泣)が出てきた。あのとき、俺は一体何を考えて、親友と飲んでいたのだろうかと思う(More Beer!)。本当に何が本当だと直観し、そこから先にどうしてその直観が共有され、さらには共に語らうことができるのだろうか。真あるいは正しいと判断できる根拠、源泉は何なんだろうか?
①真なるものは絶対的であり、個人や時代によって左右されない。絶えず、同一的なものである。
⇒「人種、個人およに諸体験のリアルな多様性に対立する、このようなイデア的統一性における真理」(LUⅠ/117f)を人は論じうる。
②諸体験:リアルで個別的なものであり、時間的に規定され、生成消滅するものである。反対に「真理は一つの理念であり、したがって超時間的である」。しかし、真理が体験されるのは経験的なのではなく、ある一般者を体験するという意味での体験=真理である。例えば、個別的な赤一般という意識をもつのと同じような意味で真理を意識するのである (LUⅠ/128)。
③真理はそれが妥当する限りでのみ、われわれは洞察する(einsehen)ことができ、真理、つまり、法則、根拠、原理を認識する条件そのものが真理である (LU/Ⅰ238)。
①真理は原信念と相関者である。例えば、目の前に“一つのコーヒーカップがある”というノエマ的意味はそれが直観様式において知覚され、それが確実に存在するという信念を持つときに“一つのコーヒーカップ”があるという命題は真理である(Vgl.Ⅲ342)。
②真理とは我々が知ることによって知られ、我々が経験するによって経験され、意識がそれを意識することに他ならない。それゆえに、思念された存在者が真に存在するものとして与えられているのは認識する意識に帰属することによる。したがって、真理とは意識を離れて存在するものではなく、例え、今だ認識されずにあることが真理として現れるのは、意識によって意識されるときに真理となる。真理は意識の内部において現実化される出来事である(Ⅷ182)。
③「すべての客観的存在とあらゆる真理はその存在と認識の根拠を超越論的主観性のうちにもつ」のであり、真理は意識によって構成されるものとして見出すのである。
①理念=絶対的に正当化される普遍的認識。それゆえに、これこれのものとして、一定の存在様態にあるものとして認識され得ないようなものは存在するものとして見とめられない。Ⅷ32
②絶対的=明証ないし、洞察のいささかの欠如をも許容せず、疑いのあるものを残していないことを完全に証明することを意味する (Ⅷ31)。
③間接的な基礎付けは直接的な基礎づけへと遡及する。あらゆる権利の原源泉は直接的明証のうちに、つまり、本源的な明証mないしはその明証を動機付ける本源的な所与性のうちにある。たとえば2×3という数式は2×3=6という解を動機づけ、この時、本原的明証の内で得られた解は想起の内で観取することも可能である (Ⅲ346)。
①判断の正当性のメルクマールは明証であり、このメルクマールが真理の直接的な覚知である。「あらゆる真の認識は、特に学問的な認識はすべて、究極的には明証に依存しており。、したがって明証のおよぶ限り、知識の概念にも及ぶ」(LU/Ⅰ13f)
②「明証とは真理の<体験>に他ならない」(LU/Ⅰ190f)
③明証にも度合いや段階がある。
⇒十全な知覚=対象の完全な自己現出〔対象は個体的、普遍的な対象〕
⇒明証=客観作用の一つであり、作用の相関者が真理である (LUⅡ/2 121f.)。
十全的明証と必当然的明証
①明証ないしは洞察は<ほかのものであること>を排除すること、例えばSはP1であり、P1以外のものではありえないことを意味する。このようにSはP1であることを信念的で十全的に与える意識を明証ないしは洞察とよぶ (Ⅲ336f)。
本質・本質態 十全的明証
明証の種類
個体的なもの 不十全的明証
①「対象性の明証性が判断の明証性を初めて可能にする」
⇒前者が後者よりも根源的な明証である。
述語判断は言表されるノエマ的意味に基づき、対象の意味の明証に基づいて、どのように明証的な判断言表が成り立つのかが探求される (Vgl.EU13f)。
②「あらゆる述語的明証は究極的には経験の条件の明証に基づかねばならない」。
⇒それゆえに、述語判断、なにかをしかじかのものとして言表するということは前述語的明証が経験の明証から如何にして発生するのかが問題。
⇒この課題を果たすために、一切の論理的能作に先立って、予め直接与えられている世界、つまり、「生活世界」へ、認識の能作の基盤となっている世界への回帰が必要である。Vgl.EU38
③「生活世界は根源的明証の世界である」
本原的明証⇒知覚⇒想起
⇒予期 「直観されるものからの帰納」
⇒回想 間接的明証
直観的明証が数学や自然科学の理論を基礎付けている源泉は<究極的に能作する>意識の明証から解明されねばならない(Vgl.Ⅵ130f)。
④第一の明証=世界が存在するという明証
⇒生活や学問の明証を支える根拠、生活と諸学のどの明証よりもそれ自体で先なるもの
⇒しかし、世界が存在する明証を追求していけば、世界の存在の明証も第一の明証である優位性を要求できない。
したがって、Ⅰ超越論的主観性の明証→Ⅱ世界が存在するという明証「生活世界」→Ⅲ生活や諸学問の明証(Vgl.Ⅰ57)。
①「明証とは〔判断〕それ自身を与える志向的能作のことである」
⇒「明証とは<志向性>の、すなわち、<何かについての意識>の普遍的な卓越した形態のことであり」、志向性によって明証的に意識された対象は意識されているものとしての対象である(FTL141)。
⇒明証=志向的能作=或ものについての意識
ノエマ(相関者)
②「明証とは、われわれにとって妥当するあらゆる意味と真理の真の存在を構成するものであるから、論理学の基本概念や諸定理と結びついていた明証性の諸問題はわれわれを最も普遍的な構成の問題とその方法の根本へと導いたのである」(FTL235)。
③「存在者を構成する機能としての明証は…存在する対象を成立させる能作である」(FTL253)。